

2026.09.04
手紙の「消印」の意味、それは切手の効力を消すという意味の「消し」なんでしょうけど、その消す行為は詩的な振る舞いに感じられますよね。手紙がこの世界の時間に登録される。書かれた言葉がわたしを離れて息吹を作っていく。その始まりの消印の時間
2026.07.01
大切なのは、神仏の方向です。AI事業も、文化も、思想も、全ては実務的、実用的に世の中を見る姿勢の中に、違う次元を持ち込むことで、人々の生き方や暮らしの不思議な風通しを作ること。生命や幸福、生きること、使命、色々な不思議な命の現象を豊かに捉えること。
2026.06.30
しるしは神や仏、世界や宇宙の真理という聖なるものとのつながりをもたらすものだったり、音楽のように私たちの心身の核に直接響いてくるものだったりする。風景と心情の説明に言葉をつくすのと、一つの和歌として伝えられるのでは心への響き方が違う。しるしはそういう響きをもたらすもの。
2026.06.20
現代はビジュアル的なしるしは特に日本ではかなり少なくなってきたように見えます。服にも建築にも装飾が排除されている。カラバリは増えていますが、かといってシンボルマークも図形のようなものばかり。それがいいとか悪いではなく、何を示しているのかも検討したいですね。
2026.06.20
全ての代表的な印はどこかの世界にリンクを貼っている。世界のかけらが埋め込まれている。そしてそれが使い手に、押されるものに、影響を与えて、世界や未来を少しだけでも作っている。
2026.06.20
しるし、という言葉で私が語ろうとしていたのは、そこに文学も芸術も宗教もデザインもつながるからです。判子屋がもう一つ向こう側の世界を作っていくにはふさわしい軸だと思いました。
2026.06.15
伊勢湾台風でうちの店の地域は大きな被害を受けて、その際にお店の資料の多くが水に浸かってしまいました。その当時の資料がありますが、インクで押したゴム印の印影はほとんど消えかけているけど、朱肉は何も変わらない。これをみていても朱肉で押すということは、残すという意味では特別なものですね。
2026.06.15
残す、ということを考えたいですね。しるしは伝えるためというよりも、残していく時に何か特別なものだったのかもしれない。
2026.06.15
私たちは、いつかいなくなる、その時に何を残すのか。この日々も遠い過去になる、その時に何を残すのか。判子、しるし、の観点から、旅のしるしを考えます。
2026.06.09
例えば名古屋のしるしの木を描いて、その先に、包むしるし、見上げるしるし、纏うしるし、繋ぐしるし、謡うしるし、がそれぞれ生えてきている。
2026.04.17
判子はデジタルなものだった。だからより良いデジタルに駆逐されるのは当然。判子は再び本来の狭く濃い領域で使い手を待つことになった。
その時に判子が現代的な意義を持つとしたら、しるし的な部分。そしてそれを担う上で、しるし全体を司る人が必要なのです。
2026.03.03
私たちの世代は昔ほど判子は使わないからこそ、判子って一体なんなんだろうという問いを持つことができているように思う。神様を感じるためのものをいう言葉を仮に置いてみると、印のもたらす力が透けて見えてくるような。
2026.02.28
紙に万年筆でもいいですが、書きながら、印を押すことで、スマホでメッセージを送ったり書き残したりするのとは違う形で残る。私とは別の何かの存在が、そこには結ばれる、ということです。
